「高橋源一郎 午前0時の小説ラジオ」at ほぼ日ペンギンスタジオ

昨夜、ほぼ日がUstreamでライブ中継した「高橋源一郎 午前0時の小説ラジオ」が、頗(すこぶ)るおもしろかったので、その感想をすこし。


  高橋源一郎氏のツイート http://twitter.com/#!/takagengen
  ほぼ日のサイト     http://www.1101.com/shosetsu_radio/index.html


■「午前0時の小説ラジオ」とは
作家・高橋源一郎氏が、昨年の5月頃からtwitter不定期的に行っている試み。
哲学的なことや政治的なことなど、毎回テーマのようなものがあって、高橋氏がそれについての考えを「即興」で文章にし、ツイートを連投する。(ご本人曰く、事前にメモ書きのようなものは用意されるものの、ツイートされる文章はその場/その瞬間に考えられているとのこと)
ちなみに昨夜は「生涯でたった一つの文章しか書かなかった老人の話」というタイトルで、33回のツイートが連投された。


■まるで美術館でインスタレーション作品を鑑賞しているようだった
ということで、昨夜はその高橋氏がツイートする様子を、ほぼ日がUstreamでライブ中継するという試みを行ったのだった。
「ほぼ日ペンギンスタジオ」というログハウス風の一室で、独りノートパソコンに向かって文章を打ち込む高橋氏の姿を、数台のカメラが捉えてる。部屋の中にはキーボードをタイプする音と、時折ノートを捲る音や高橋氏の咳払いが響き渡るだけで、しかしその微かな音が一層この部屋の静けさを際立たせていた。その静けさは最後のツイートが投函されるその瞬間まで、ある種の緊迫感と共に部屋の中で保たれていた。
と書くと、なんだかそれらしい感じに見えるかもしれないが、全く予備知識のない人が見たら、ただ「おじさんがノートパソコンに向かって文章を入力している」だけの映像だったかもしれない。そうした映像が延々と(1時間40分くらいだったかな?)流れているだけだった。
しかしそれだけのことが、一種のインスタレーション作品として成立しているようで、私は飽きもせずにその映像を眺めていたのだった。


■作家の孤独/私の孤独/知らない誰かの孤独
まず、高橋氏の思考が言語に変換されて文章として生成する瞬間に立ち会えたことが、私にとっては最も刺激的だった。静謐さに満ちたあの部屋の中には、しかし確かな熱量があって、それが弾けるような躍動感がツイートとツイートの間にあった。そして同時に作家は孤独だった。ツイートされた「生涯でたった一つの文章しか書かなかった老人の話」に関する文章は、非常に考えさせられる内容ではあったものの、そうした内容とは別に、作家が文章を生成する作業は、ただただ孤独なんだなと感じたのだった。
そして私は、その光景を自室で独りただ眺めていた。それは単純に一人暮らしをしているから、という理由でしかないが、(Ustreamの画面上に表示されている視聴者数は最大で1600人を超えていたが)おそらく多くの人も同じような状況だったのではないか。一つのツイートが投函されて、次のツイートまでを待つ時間に、高橋氏のツイートに対する他の誰かのツイートを眺めたり、私は私で祖母のことを考えたりしていた。それもまた孤独な/孤独だからこそ可能な作業なのだと思ったのだ。
私たちは決して繋がっているわけではないが、twitter/Ustreamという仮想的な空間で、作家と私と知らない誰かの孤独が重なって、1時間40分という時間が歪んでしまったような感覚が、すごく不思議でおもしろかった。


と、なんだか適当なことを書いているうちに、今夜もほぼ日で「高橋源一郎 午前0時の小説ラジオ」がライブ中継されています。興味のある方は是非。